盛岡東大通商店街
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桜山神社地区問題





※時系列順

.S12年(1937年) 桜山地区を史跡指定。

終戦後 大陸からの引揚者が神社境内にバラックなどを建てて住み始める。

S29年(1954年) 「中の橋・大通り線」の整備に伴い仮移設が始まる。

S31年(1956年) 都市計画が決まる。この時にこの界隈は将来は緑地(すなわち公園緑地)となることが決まる。これの意味するところは、地目(土地の主たる用途による区分。不動産登記法では二一種類が定められている。)が「緑地」となり、建物の建設はできなくなるということ。つまり、現状は現状として容認しつつ、建替えはできなくなると言うこと。

S34年(1959年) 区画整理が行なわれほぼ現在の状態になる。説明会での元住民の方の証言によると、この時に残存していたお堀周辺の土塁が撤去されたらしい。

S45年(1970年) 桜山神社からサンビルまでの通称“桟橋”(現在は歩道となっている)の店舗が撤去される

H9年(1997年) 桜山地域を駐車場を主体とする整備計画が決定。

H20年(2008年)4月 市、上の計画を破棄。その報道が波紋を呼び、桜神社社務所にて市側の代表を招いて説明会を開催。「住民の皆さんと相談して・・・」と説明。「立退きについての相談なのか?」の問いには明言を避ける。また「要望を出したなら検討するのか?」の問いには「それは出来ない。」との回答。んじゃ何の相談よ、とざわめく。(ノーブル佐々木の記憶より)

H22年(2010年)10月1日 「桜山神社参道も将来像ついて」と題した計画案を発表。これをマスコミが報道し、波紋が広がる。→資料(盛岡市HPのファイルに直リンク)

H22年10月13日 市の都市整備部みどりを招き商店街主催の説明会を神社社務所で開く。反対意見で埋め尽くされる。(参加者約120名他メディア各社多数取材)映像

H22年10月19日 市役所8Fホールにおいて公式説明会が開催。商店街代表が市の計画案に反対を表明し、そのための署名運動を展開することを宣言。この日から商店街の署名運動が始まる。(参加者、昼の部250名、夜の部150名。メディア各社多数取材。)署名用紙(PDF)

H22年11月7日 中央通県庁・公会堂交差点で朝8時より、チラシ配布&署名運動を展開。32名の参加、署名8名、チラシ800部配布。→チラシ

H22年12月1日 谷藤市長、定例記者会見で商店街側に地域との合意形成を経て取り組むことを町内会長・振興会会長宛に文書で通達。
※白紙撤回ではなく、あくまで立ち退きありき、の姿勢は維持したまま。

H23年(2011)3月9日 盛岡市役所にて谷藤市長に署名を提出。同時に市に対し史跡解除と商業地指定を求めた請願を申請。

H23年5月23日 盛岡市議会建設常任委員会において請願不採択の審査結果。市議会での不採択が濃厚になる。それを受けて振興会に届いた市長の文書。→これ